『菊と刀』日本人論の名著!要約・書評 | 日本の社会システムがわかる!

書評・感想

『菊と刀』は、第二次世界大戦終盤から戦後間もない頃にアメリカの文化人類学者であるベネディクトによって執筆された『日本人論』である。

 

書かれてから60年以上経ったいまでも、「この本を超える日本人論はない」と言われる名著である。

 

本書を読めば、

「なぜ震災の時のマナーが世界に絶賛されたのか?」

「なぜ日本は企業や学校を含め官僚制体質が根強いのか?」

などなど、最近でも見られるような日本人の行動原理や性質を説明するヒントになるだろう。

 

日本人なら必ず読むべき教養書のひとつである。

 

『菊と刀』とは?

菊と刀 (講談社学術文庫)

戦時下の日本人の習性や価値観を明らかにした本

戦時中、対戦国である日本の国民はどのようなものか?を調査するアメリカ。

 

降伏させられるのか?本土へのプロパガンダ方法は?戦後、日本の秩序はどう保つべきか?皇居は爆撃すべきか?日本人捕虜はどう行動するか?

などなど、アメリカとは全く異なる日本の考え方や価値観を知る必要があったのだ。

 

依頼を受けた文化人類学者のベネディクトは、さまざまな手法を用いて、「経済・性行動・宗教・育児」などの観点から日本の行動原理を調べた。

 

そこから浮かび上がってきた日本とは、

  • 階層的な上下関係に対する信仰
  • 「恩」という思想
  • 「義理」という務め
  • 「恥」という文化

であった・・・

 

本の要約:「菊と刀」の意味

「菊と刀」というタイトルどおり、本書は、日本のことを「菊と刀」に例えて示している。

 

菊の花が象徴しているのは 、自由を自制する戦中および戦前の日本人の生き方のことである 。また刀は 、狭い意味では刀の輝きを保たねばならない武士の義務のことであり 、広い意味では自己責任をまっとうしようとする日本人全般の強い意志のことである ─ ─ 。

引用元:「菊と刀」(光文社古典新訳文庫)ベネディクト 訳:角田安正 訳者あとがきより

 

仏花のイメージが強いかもしれないが、

そもそも菊は日本の代表的な花であり、紋としてもよく使われていた。

刀は言うまでもないだろう。

 

菊と刀は、日本人の「義理・恥・恩」という文化を一言で表した言葉なのだ。

 

少し詳しくまとめてみよう。

 

日本人は階層的な上下社会に慣れている。

社会の中で自分の位置付けが担保されれば、安全や権利はある程度保証され、安心できる。

そこには、上に対する恩があり、恩を返すことが義務となる。

 

また、社会的な義理もあり、世間のルールにのっとることが義務となる。

両方のことが果たせなかった場合、それは「恥」となり、世間で認められない人間となってしまうため、恐怖の原因となる。

 

この「恩と義理と恥」が日本人の倫理観であり、行動原理ではないだろうか。

 

本書を私なりにまとめるとこんな感じである。

 

『菊と刀』で私たちが学ぶべきこと

「応分の場」という概念

日本人は、秩序と階層的な上下関係を重んじる、一方、アメリカ人は自由と平等を重んじる

アメリカとの対比で語られるこの価値観は、近年の日本でもよく語られる。

特に「企業」でも根強い価値観だ。

 

そしてこの階層的な体制は、封建時代から続く日本の文化であり、各階級での仕事や振る舞いにある程度の制限や秩序があった。

武士と農民の関係は言うまでもないだろう。

 

明治維新では、国を再興するにおいて、この「応分の場」に由来する義務を国家と国民の間で割り振った。

 

わかりやすい言葉で言うとこういった考え方である。

人間は世間のおかげをこうむっている。一人前に育ち、教育を受け、幸福な生活を送っているのも、いや、この世に生を受けたという単純な事実すら、世間のおかげである。

 

この「応分の場」は、今の世の中でもよく見られる。

例えば、部長や課長や係長が何人もいて、他にも役職がたくさんある会社などなど。

「敬語」が重んじられるのも、まさにこの意味においてだろう。

 

そして、決定的なことは、「日本人は自分の役割を明確にしてもらうことで動きやすくなる性質を持つ」ということだろう。

 

 

「恩」と「義理」と「恥」

恩は借りである。

階層制にともなう習性が律義に守られているからこそ、日本人は道徳的な借りを、欧米人には想像もつかないほど重視するのである。

私たちは、無条件に親切にされたとき、それを疑うことがある。

それは、この「恩と借り」の価値観だろう。

 

例えば、両親や雇用主などなど、育ててくれた恩、雇ってくれた恩が重要なものになる。

(日本で転職が活発でなかった理由の1つ)

 

鎌倉時代の御恩と奉公、鶴の恩返しなどなど、美徳と呼ばれる昔話には、「恩を返す」姿が描かれる。

 

そして、その恩を返さなければならないことを「義理がある」という。

 

義理とはつまり、自分の名を汚さないことだ。

自分の名を汚すと「恥」になる。

 

恥をかかないためには、以下の暗黙の了解を守る必要がある。

「応分の場」に見合ったさまざまな礼儀を一から十まで守ること。苦痛にさいなまれたとき自制心を発揮すること。職業や技能に関する自分の評判を守ることー。

 

日本人は「恥」をかかないことに人生をかける。そして、失敗の場はなるべく設けない。

(日本人が手を挙げないのはこの価値観のせいだろう)

 

そう、私たちは「恥」に縛られているのだ。

「空気を読む」という言葉は、明確にそれを表している。

 

ベネディクトの研究方法

以上の考察だけでも、ベネディクトの研究の詳細さが伺える。

そして、この研究方法は、私たちにとって大きな学びになる。

 

ベネディクトは、直接日本に行って調査することができなかった代わりに以下の手法を用いた。

  • アメリカの日系人に面接する
  • 日本で生活したことのある欧米人に聞く
  • 日本人をテーマとする文献を読む->予備知識が欠けているが故に理解できない事柄に注意を払った
  • 日本で製作された映画を日系人と一緒に見た

 

ベネディクトは、江戸時代から明治維新のことを詳細に調べている。さらに、古典文学さえにも目を通しているのだ。

 

ここで大事なことは、詳細な観察だという。

ヒントは以下の部分だ。

したがって人々は、社会生活をできるだけ特定の価値体系によって統一しようと努める。また、共通の原理や共通の動機を己に課する。要するに、ある程度の一貫性が必要だということである。さもないと、全体の仕組みがばらばらに崩壊してしまうからだ。

 

ここで言いたいことは、文化には軸になるものがあり、それがわかれば自ずと全体がわかるということである。

 

日本で言えば、「恩と義理と恥」である。

 

そして、ベネディクトは調査において、常に注意したひとつのことがある。

アメリカ人が一定の状況ですることを日本人もするだろうという先入観をなくすこと。

 

『菊と刀』考察

私が読み終わってまず思ったことは、

常識だと思っていたことが、実は昔から設計されていたものだったということだ。

 

私は恥をかくのは嫌だし、空気を読もうとするし、長いものに巻かれようとするし・・・

これらは全て社会システムだった。

 

それに気づいただけでも衝撃だった。

 

恥は周囲の人々の批判に対する反応である。人前で嘲笑されたり拒絶されたりするか、そうでなければ嘲笑されたと思い込むことが恥の原因となる。いずれの場合も、恥は強力な強制力となる。しかし、それが作動するためには、見られていることが必要である。

・・・

すなわち、よその諸集団から是認されないと、自分の所属する集団の支持も得られないということである。

 

この部分もかなり的を得ている。

いじめやパワハラと言われているものも、恥に基づいたものが多い。

 

私たちはこういった価値観をもって、日本で育ってきたのだ。

 

さらに、外で認められなかったら中でも認められない。というのも真実だろう。

 

就活生が、大企業に入りたがる。

親がいい大学に行かせたがる。

 

それはこの社会システムだからだ。

 

今の時代になぜ読むべきか?

私たちは、過渡期にあると思う。

つまり、「菊と刀」で説明された日本のシステムから脱却しつつあるのだと思う。

 

残すべきものと、無くすべきもの、変更すべきもの、これらは全て、今までの社会システムを知っていなければできないことだ。

 

最近話題になっている、落合陽一の「日本再興戦略」にも、同じような社会システムの話が書いてある。

関連記事:『日本再興戦略|落合陽一』をアラサーが3回読むべき理由!! – マジPEACE。

 

私たちは、歴史から学んで、これからの時代をつくっていく必要があるのだ。

 

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